シンガポール赴任経験者の雑記ブログ

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多様性と東大の入学式祝辞について

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今日はもともと書こうと思っていたことあったけど

ちょっとやめて、

少しテイストの違う話を。

 

なんというか、思想論的な話。

 

長いしシンガポールあんま関係ないけど

書きたくなっちゃったから書き残しておく。

 

きっかけはFBやニュースにて

2019年の東大の入学式の祝辞が

話題になっていたこと。

 

知っていますか?東大の入学祝辞。

 

原文はここ。

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html?fbclid=IwAR0AIDlum7jQ4_qrF-wJBBvgObvVKo4CV8-6VmTe4yMRb8n9FnupA6S-ogg

 

ざっくり言うと、

世の中には不公平や無意識の差別がはびこっていて

特に性差別は日本でもまだまだあるということ。

それを統計的なデータを用いながら

わかりやすくスピーチをした、ということ。

 

個人的にはすごくいいスピーチだったなぁ

と思ったんだけど

思いもよらず賛否両論があるようで。

 

それが面白かったので個人的な見解を。

 

主な反対意見

反対意見としては性差別がどうかというより

・統計データの使い方が間違っているとか

・データを使ってる割にロジックがいけてない

・誤誘導だ

・大学生向けのスピーチとしてのロジックがなっていない

みたいなもの。

 

ご丁寧に一文ずつ意見を物申している

こんな長いブログまであります。

https://anond.hatelabo.jp/20190413114026?fbclid=IwAR3B75dAd6X_Yq0yQVYhhz-Zg2OgEK4uVXxHQtPqNDrMtrIPekB9opRSgXk

 

このブログ主が主張しているのは

最高学府の東大生に向けてスピーチをするのであれば

有利誤認させるようなデータを使わず、

ロジックをしっかり組み立て、

間違いがないようスピーチをすべき

といったこと。

 

なるほど、さすが東大生、頭いいよね。

しっかりデータの裏付けも見て

使い方間違っているのでは、と主張するあたりも

きっちり仕事しているね、という感じ。

 

自分の信じている正義感の怖さ

このブログを見て感じたことは

正義感って怖いなということ。

 

あのスピーチを聞いて

ロジックで徹底的にうちのめしてやろう

と思った人がいるというのは

俺はかなり驚きだ。

 

このブログの人はスピーチの構成や

ロジックが東大のレベルに達していない、

そんなスピーチをさせるべきではなかった、

という彼なりの正義感に駆り立てられて

1つずつ文章のあら捜しをしていたんだと思う。

(もしかしたら東大生としてのプライドがあるのかもしれない。)

 

一方で、祝辞を述べた上野さんという人は

出来るだけ東大生に響くように

性差別などの社会の不公平感をスピーチしたに過ぎない。

これもまた、

性差別はなくすべきだ、という上野さんの正義感

なんだと思う。

 

この二人が仮に同じ席について議論をしても

全くかみ合わないと思うし

分かり合えないと思う。

それは正義が違うから。

 

また、もしかしたら

もっと違う観点の正義で反論したり

または賛同したりという人もいたのかもしれない。

 

正義の怖いところは

正義、それだけをとらえて言えば間違っていないため

その正義から逸脱したものを見たときに

それは暴力になりかねないということ。

 

多様性の重要性と受容性

んで、

俺が大事だと思うのは、

自分が知らず知らずに信じている正義と

違うことが出てきた際に

どういう風に立ち振る舞うかということ。

 

このブログの人のように徹底抗戦するのは

個人的には賛同できない。

 

ブログの人ももったいないことをしていて、

私は自分自身の信じる正義以外は受け入れません

と宣言しているようなものだ。

 

一応シンガポールにも触れておくとw、

シンガポールは人種の多様性があることもあり

価値観、宗教心、正義感が全く異なる。

 

それでも国を回していけるのはそういった価値観を

お互いに認め合い、尊重しあっているからだ。

 

皮肉にもシンガポールという国を回していっているのは

NUS(シンガポール国立大学)という

東大よりもはるかに世界的に評価されている

大学出身の官僚たち。

 

そう、彼らはすでに

いろんな正義があるという多様性を受け入れる能力を

持っているのだ。

 

自分の正義を振りかざして

他の正義を駆逐するのは

結果として不協和音を生み、

長い目で見れば得策ではないことを知っている。

 

東大サイドの取り組み

面白いことが2つある。

 

1つは、東大側として上野さんのスピーチ内容を

事前に知っていて、そのまま話させたこと。

(祝辞を述べた直後にHPにアップ)

 

もう1つは東大の受験方法としてAOという多様な学生を

受け入れる間口を広げ始めたこと。

 

つまり、

東大自体も多様性を受け入れる重要性を

感じ始めて制度を変えたり、

あえて上野さんのようなスピーカーに話させて

一石を投じようとしているのである。

 

これからの東大生は

こういったスピーチを聞いて

自分が思う正義と違ったとしても

それを否定し徹底的に非難するような

そういった学生にはならないようになっていくのかもしれない。

 

少なくともスピーチを聞いて、

自分の正義と違うからと言って

このスピーチはゴミだという表現は

出てこないだろうね。

 

東大自体が変わっているから

だんだんとそうなっていくだろう。

 

そうするとこのブログを書いた人は

非常に古いタイプの東大生として揶揄されるかもしれない。

 

そうなったら日本はもっと住みやすくなるかもね。

 

大局観と肌感覚の大事さ

個人的にはもう一つ、

大局観というキーワードがあると思う。

 

上野さんのスピーチは

確かにロジックやデータの使い方に一部

おかしな点があったかもしれない。

 

仮に上野さんが出したデータが

間違っていたとして、

それでも、性差別がある社会をなくそう、ということが

否定されるものだろうか。

 

性差別はないだろうか?

肌感覚で全くありませんか?

 

子育てはどうですか?

年収はどうですか?

 

いや、俺も統計データ全く知らないよ?

でも肌感覚としてわかるよね。

 

大局観として間違ったことは言っていないし

それが社会課題なのも間違いない。

 

ちょっと人を変えて考えてみる。

 

ソフトバンクの孫正義が

これからの時代はIT革命だ、とかAIの時代だ

というプレゼンを過去からこれまでずーっとしている。

 

一方で、

ソフトバンクのプレゼンの数字やグラフのいい加減さや

有利誤認を生みやすい構成にあえてしていることは

業界でも有名な話だが

それで孫正義のビジョンを否定する人がいるだろうか。

 

時代を作る人や

時代を変える人は

常に自分の肌感覚や大局観を大事にしている。

 

もちろん

ロジックや数値の正確さにこだわるのも重要だ。

 

でもね、

それは世の中を変えない。

ロジックにこだわり続けるだけの人間は

頭のいい小者で終わってしまうのではと思う。

 

まとめ

とりとめのない記事になってしまったが、

自分と違うからと言って

相手を叩き潰すような正義感は

あまりお勧めしない。

とはいえ、いろんな意見が出ること自体はいいことだし

頭のいい東大生たちがどんどん多様性を受け入れてくれると

日本全体が良くなっていくだろうね。

 

俺は上野さんのスピーチをサポートしてるが、

性差別をなくしたいだけでなく、

いろんな差別がなくなれば良いな、と思ってる。

 

特にアジア諸国からの

外国人も増えてくるだろうし

そうすると外国人差別をする人も

顕在化してくると思うが

そういうのは全てマイナスにしか映らないので

なくしていきたいよね。

 

なんにせよ、賛否両論がでる

このスピーチはそういった側面でも素晴らしかったのかもな。